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執筆者の写真優子 姜

2拠点生活がおわります


いよいよ

6年間の佐賀⇆東京も最後となりました 


まもなく2拠点生活を終え

代官山にほど近い住まいを手放し

佐賀県民となります

メリハリのある生活は

思考が凝り固まらずに

本当に経験できてよかったです


生活のすべてがまた変わります

 

旅行好きの父のおかげで

幼い頃から国内外あちこち

飛行機で連れて行ってもらっていましたが

こんなに飛行機にのる人生になるとは思ってもみませんでした


大変でしょうと

たくさんの方に心配していただきましたが

思い切り好きなことできてたのしかったです


普通という概念は、如何様にもかわります

東京-九州はたしかに遠いけれど 

思ったより時間もかからず

行き来することは、普通になりました

わたしとは比べものにならないくらい

もっと移動している人にもたくさん出会えて

まだまだできるんだなと思わせてもらうようになりました


世の中的にも普通はかわりましたね

空港で、飛行機で、

欠かすことなくそれを目撃、体感していました

JALではかなり早い段階で

無人自動チェックイン機が採用され、

空港内の案内嬢はロボットにかわりました

知ってたの?とききたくなるくらいの

対応の早さにおどろきました


みんなが家に籠もっているあいだも

一度もペースを変えずに

毎月九州に来られたのは

変わらず場を整えてくれていた

野草宙の澤村さんとひなさん 

そしてそこに

自分の感覚と

与えられる情報だけがすべてではないと信じて

変わらずに集まってくれたみなさんのおかげがとても大きいです


また

限られた時間の打ち合わせで

イベントをさせてもらったり

納品させてもらった

たくさんの店主のみなさま

100 点のパフォーマンスができない日もいっぱいで反省ばかり

でも、とにかくできることを続けました


そして、隙間時間がほぼなかったので

初期の頃

なんども空港に送り迎えしてくれて

搭乗ぎりぎりまでの

残された短い時間で

空港でおしゃべりしたのが懐かしい、

水瓶酵母室のあずみさん

sifukuのりみちゃん


しばらくは

ごはんも、寝る時間もけずっていたので

滞在中にどんどん痩せていくわたしをみかねて

自身も忙しいのにごはんを作ってくれた

ひなぎく 早苗ちゃん

むすひ手 ともこちゃん


書ききれなくてごめんなさい

みんなみんな

ありがとう


全力すぎてドリルのようだと言われるくらい

とにかく夢中で作り続け

合間に家のメンテナンスもしなければいけなかったり

緊張や長時間同じ姿勢でいるために体中痛くて

東京に戻ってからは数日動けず。


ほんとに不器用だな

これじゃだめだときづいたのは5年めの終わり


最後の1年は無駄に脅迫概念をもつことをやめ

余裕をもつことをテーマに過ごしました




わたしが不在にしているあいだ

東京では

昔からお世話になっている

島田シェフがいてくれたおかげで

夫と育ち盛りの息子の胃袋を

時々支えていただいて

頭が上がりません


犬のげんきを面倒見てくれた義父母


数え切れないくらい頻繁に

おかずをわざわざ届けに来てくれたり

わたしが不在のあいだに

慣れない電車移動で

息子と渋谷でまちあわせして

レストランに連れて行ってくれたり

九州までも来てくれて

常に全力サポートしてくれる母



息子がまだ赤ちゃんだったころ

隣にいる、

一日中だっこしたまま座ることもできない、

食べられもしないわたしを気にもとめず

テレビみながら

ゆっくりビール飲みながらゆっくり夕飯を食べ

ようやく交代してもらえると思ったら

おかわり!と何の疑いもなくお茶碗を差し出され

う、うそだろ、、と白目剝いたあのころに比べたら

夫は相当家事力あがりました

息子のお弁当作りのこだわりを

得意気に語るようになりました


仏のような外見の印象を持ちながら

そんな鬼エピソード満載の夫

暗黒時代が長かったからこそ

全員我慢しないで、のぞみを叶える生活

全員協力する生活をしよう、

と勇気を振り絞って提案することができ

今では感謝しています

わたしがいたらないところがたくさんあるし

夫は仏的なところもたくさんありますし

不得意なことがいっぱいのわたしなので

日常においてたくさん助けてもらってることも

ちゃんと付け加えておきます




息子は

わたしが九州にいるときに限って風邪を引き

電話で励ますしかなくて

申し訳なさでいっぱいになったり、

不登校になった日々もありました、

つい最近まで。

いろいろあったけど

小さいころから

子どもとしてというより

人として接してきたつもりで

人として尊敬できるところもあるし

優しく、いつのまにか頼れる存在に成長し

こちらも家事力レベル相当あがって頼もしいです

あと、いつもスーツケースを運ぶために

駅までお迎えにきてくれてありがとう


みんなのおかげで

どうにかこうにか続けてこられました




2拠点生活初期のころは

交通費を安くしたくて

LCCに乗ってみたものの

厳しい重量制限のことをよく理解してなくて

搭乗前に慌ててコートのポッケに

仕入れ食材の小麦粉の小分け袋7キロ分を詰めて

二人羽織してる人みたいな出で立ちで

飛行機にのったり


雪の日に

佐賀の家の近くの駅まで辿り着いたものの

そんな日は駅前のタクシー乗り場は壊滅的で

数十分震えながら待って

やっと現れたタクシーに

横にいた、出張に来たというサラリーマンと

急に結束力が芽生え、

それぞれの目的地まで乗り合いしたり

毎月毎月なにかしらがありました



6年前、九州から東京に拠点をうつすとき

まだ2拠点生活をする人が少なかったから

どんなに口で説明しても

ありがたくもお別れ会をひらいてもらったり

お別れの品をもらったりして

なんだか申し訳ないなあと思いながら

それから

毎月欠かさず行ったり来たりすることになって

1年近く過ぎた頃

この人、いなくならないんだ

とようやく理解してもらえた気がします




わたしの実家は関東ですし

世が泰平なうちは

これからはますます自由に

行ったり来たりに加え

あっちもこっちも行くつもりです

ですから

どうか関東のみなさんも

遠くへ行ったと思わないでください


東京の人の九州は遠いけど

九州の人の東京は近いのです


九州に知り合いも親族はいませんでしたが

本当に肌にあっているので

終の棲家は九州にしようと決めたのですが


心に決めたって

何が起きるかわかりません


毎回、終の棲家と思いながら

実は今の九州の家で3軒めです

サラリーマン家庭で

戸建てを3軒買った人はあんまりいないとおもいます

(毎回、奇跡的に住み替えできてます)


お菓子もくらしも

いつも柔軟に変化に対応できることも大切だと考えています

そうせざるを得なくてここまで来たといったほうが正しいかもしれません

なんにつけ、正解がひとつと思い込むと

つらくなってしまうし

たくさんのチャンスも見逃してしまうようにおもいます 


おかげさまで

悩みながらも続けてきて

想像もしていなかった

たのしいおしごとをさせてもらってます

ようやくおもしろい人生かもと思えてきました


これからもわたしという特性に付き合い

面白がったり、ため息ついたりしながら

みんなが喜んでくれるものを

考えていこうとおもいます


九州のみなさんも 

関東のみなさんも

それ以外の地域のみなさんも 

これからもどうぞよろしくおねがいします


今年はこれまでよりさらに

おもしろいことがたくさん予定されているので

本当にたのしみです


走馬灯のように頭に浮かんできたので

取止めもなく書きました


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ありがとうございました

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